お茶の時間を彩るのは?!

ジャマにならない味って?!  

10年前に座談会をはじめた時にはあまり聞かなかったのに、最近よく聞くようになったお茶の味の表現の一つに「ジャマにならない」というフレーズがあります。食事の味のジャマをしない、というような意味で使われることが多いのですが、「味がしない」ということが良い評価に繋がるということが、最初はとても違和感がありました。
しかし、もう少し突っ込んで考えてみると、静岡では「いただきます」の時に日本茶がテーブルに載っている家庭が多く、この場合に飲まれているのは茎茶が多いです。また静岡以外では、麦茶やペットボトルのお茶が食事中のテーブルの上に載ることが多くなったと感じます。(以前はお味噌汁やスープがメニューに入っていることが前提で、食事中はそれが水分という感じが主流。お茶は食後に入れるのが主流でした)
つまり、食事と一緒に飲む日常茶飯のお茶は、「味がしない」ことがプラス評価になることが多いということなのですね。「濃い味」の逆で、「淡口」で「食事の味をじゃましない」「個性を主張しない名脇役」というような切り口のお茶が存在してもよいのかもしれません。

 


 お茶のおいしさを感じる時間。

逆にお茶の味や香り(つまりはおいしさ?)について語られるのは、食後とかおやつとか、総称して「お茶の時間」と呼ばれる時ですね。特に「あんこ」「抹茶系のお菓子」の場合、「おいしい緑茶じゃなくっちゃ」という発言が多いです。
お茶だけで「おいしい」「まずい」と一喜一憂している私のようなヘビーユーザーはどんどん少数派になりつつあると感じています。