「和」ブームというけれど

「和っぽい」というコトバ。
 20~30代、40代前半に、新茶袋のデザイン投票をしてもらっているとき、デザインに対する評価を投票シート以外にヒヤリングするのですが、このとき最近頻繁に聞くコトバが「和っぽい」という表現。次に使われるのが「通っぽい」(つうっぽいと読みます)。両方ともプラス評価に使われますが、なぜか「ぽい」という語尾なのです。
これが60代以上になると「伝統的」とか「正統という感じ」という表現に変わります。
同じデザインを見ても、表現が世代によって異なるのはなぜなのでしょうか?

「そうだ、京都行こう。」

少し前なのですが、20代の座談会でこんな話が盛り上がったことがありました。JRの「そうだ、京都行こう。」のCMを見て、CMでは高尚なお寺の襖絵とかを題材にしていたとしても、清水寺の坂道の石畳で抹茶アイスを食べるというレベルで京都にいる自分を想像して「そうだ、京都行こう。」と決意したりするという話。そういう感覚と「和っぽい」「通っぽい」という表現には共通点というか何か近いものがあるのかもしれません。

生活のワンポイントとしての「和」。
どっぷり「和」の空間というのを求めているのではなく、今ある生活の中にワンポイントとして「和」を取り入れる。「和」ブームというけれど、何から何までガチガチに「和」で武装する空間は、外にあって(たとえば旅館とか飲食店のように)時々そこに身を置くくらいでちょうどいい。お茶についても、それは共通で、湯冷ましの必要な高級な煎茶は、非日常のワンポイントになりつつあるように思えます。