インフラはケータイ?それとも日本茶?

一日中お茶ばっかり世代の終焉

20100101 座談会は基本的に世代別で3グループに分けて実施します。朝一番は50歳以上。午後一番は35歳~40歳代。夕方近くに20歳~35歳くらいまで。
座談会を始めたばかりの1995年頃は、朝一番は子育てが終わってお孫さんがいたりする年代、午後一番は子育て真っ最中のママさんたち。夕方近くは独身女性。と、それぞれ世代別に大まかな参加者のくくり方が出来たのですが、最近は50歳以上でもフェロモンムンムンで独身の女性がいたり、20歳で生活苦に追われるヤンママがいたり、子育て真っ最中のキャリアウーマンという兼業の女性も多いので、生活環境は世代では到底くくれません。
その中で、ここ数年でめっきり減ったと感じる発言は「一日中お茶ばっかり。他の飲み物は飲まない」という発言です。15年前の朝一番の50歳以上の座談会では、半数以上の参加者が口にしていた「一日中お茶ばっかり」発言。ここのところ、静岡以外のエリアではとんと聞かなくなりました。

日本茶はワザワザ。
「一日中お茶ばっかり」という人の特徴は、「百グラム●●円」のお茶を購入しているかは即座に答えられるが、「年間どのくらいお茶にお金を使うか?」という質問には「さあー???」と首をひねるということ。これって、最近の座談会で若いコが携帯電話にかかる費用に対する感覚と酷似しているということに気がつきました。「携帯電話にかかる費用?最適なのを選んで入っているから、そんなにイチイチ気にしてない。ていうか、絶対必要な経費だから、ケチることなんて出来ないし!」「そうそう、うちらにとって、ケータイは水道・ガス・電気みたいなインフラなんだよねー!」という会話を聞きながら、「ああ、かつて日本茶は主婦にとってのインフラだったのだなあ」としみじみしてしまいました。
逆に「ケータイはインフラ」と話すコ達にとって、急須で淹れる日本茶は非インフラ・非日常であることは間違いありません。「気合いを入れてわざわざ淹れるもの」「急須を買ったら淹れたいなあと思っているけど中々そこまでいかない」など、寂しい発言に多々遭遇します。

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高いと感じさせない工夫?!

20091203 ここまで来たら「日本茶がインフラ、という時代は終わった!」と腹をくくって、どうやって「わざわざお茶を淹れる楽しみ」をこれからの世代の暮らしの中にどう入れていくか、と発想を転換する必要があるのかもしれませんね。
万一母親は急須で日本茶を淹れていなくても、おばあちゃんは急須で淹れていたのを記憶している。日本茶のイメージはペットボトル飲料のテレビCMで刷り込まれているので「健康に良い」「国産の茶畑から」「無糖」などのプラスイメージ満載。そして最近「日本茶をなにげに上手に淹れられるオンナの人って育ちがイイ感じがする」「お湯の温度とか、加減するコトが沢山あるからバカじゃ上手に淹れられないよね」というような「急須で上手に日本茶を淹れるのは賢い証拠」みたいな発言が頻発します。
きっとこういうヒト達は、「一日中お茶ばっかり」発言のおばあちゃんのように量を飲まないけれど、道具やお菓子や「お茶の時間を創るしつらえ」にはお財布のヒモをゆるめます。そしてきっと100グラム●●円という基準がないので、お茶葉の物語に共感すれば、単価の高いお茶にも手を伸ばすはず。
「だって安価なカジュアル衣料に三千円使うより、自分のために日本茶に三千円使った方が、一ヶ月間ずーっと豊かなキモチになれますよ!」という27歳独身女性の発言もありました。「高いお茶は売れない」のではなく「高級なお茶を高いと感じさせない売り方」こそが大切なのかもしれません。