第49号 株式会社 お茶の井上園 井上光嘉氏

積積極的な経営で明日を拓く経営者をご紹介するこのコーナー。
今回ご登場いただいたのは、東京都小金井市の井上園様。
「仏事の雄」として名高い井上園様ですが、
二〇〇二年四月に地上六階・地下一階の本社ビルを新築されました。
一階にある小売店舗は、大谷石の床にたっぷりとした空間が広がり、
柔らかい間接照明が落ち着いた癒しの時を運んできます。
現社長光嘉氏は三代目。
専務の孝一氏と絶妙なコラボレーションで、
親子で会社の繁栄のために邁進していらっしゃいます。 

 


株式会社 お茶の井上園
代表取締役社長 井上光嘉氏

いち早く時代を読み解く社長。
「どこを撮ってもいいよ。当社は全てオープンだから。」と
社内全ての撮影許可をくださった。

新本社ビル全景。ビル全体の延べ面積は1,000坪を超える。


本店外観。ふっと立ち寄りたくなる洒落た店内。
●卸問屋としてのスタート。
井上園の創業は明治三十四年。初代の頃、小金井周辺には茶畑が多く、茶の製造卸を生業としたのがスタートだ。大正時代に西武鉄道の駅が至近に建設されたことで、人の流れが出来、二代目の時代に現在の本社所在地に小売店舗を設けた。当時は「狭山茶」の看板を掲げ、卸七割・小売三割の商売だった。
現社長は昭和十年生まれ。昭和二十八年から二代目である父上が亡くなる四十七年まで、「親子で一緒に知恵を出し働いた。」と懐かしそうに振返る。仕上加工の製茶工場を自社で持ち、荒茶を仕入れて加工することで、独自性のある消費地問屋として地歩を築いた時代だ。また昭和三十五年には小売店舗を新築し、小売にも力を入れるようになった。
●「狭山茶」の看板を下ろす。
高度成長期には、狭山茶だけでは足りなくなり、静岡からも荒茶を仕入れるようになる。狭山茶三割・静岡茶七割と、荒茶の割合が逆転したところで、「狭山茶」の看板を下ろす決意をした。時は昭和四十七年、父上が亡くなり、三十七歳にして社長に就任したばかりの光嘉氏の決断だった。
「狭山茶というには、小金井という場所は中途半端なんです。実際、静岡から仕入れている割合が激増していましたし、お茶一筋に生きていこうとしているのに、看板に偽りあることは出来ないと考えました。また都内で茶専門店を経営している親戚に相談したところ、『それが正解だろう。』と言ってもらえたので、思い切って狭山茶の看板を下ろす決意をしたのです。以来、井上園のお茶は『むさしの銘茶』と銘打ち、静岡茶の看板で商いをしてきました。」

お茶以外のギフトを取り扱う別会社(株)タカミツの店は、本店に隣接。

床と壁が大谷石。
陶器コーナーのセッティングは、
センスの良いリビングテーブルを
彷彿とさせる。

ショーケースの上段に並ぶ絞り込んだ20アイテム。
それをギフト展開した下段のギフト。
●時代の流れを見抜く。
一方、昭和三十五年生れの孝一専務が、修行を終えて家業に戻ったのが昭和五十五年。立川駅ビルの店長として五年間小売を経験した。
その頃社長の心には「これからの時代は卸ではなく小売なのではないか?」という思いが去来するようになる。「静岡の問屋から消費地の小売店に翌日商品が届く時代になって、消費地問屋の存在意義について根底が揺らいでいましたから。」というのがその理由だが、時代の流れを素早く見抜く慧眼には脱帽するばかりである。
●仏事への参入。
昭和六〇年、専務が本社に戻ってから、現在の売上の九割を構成する仏事に参入する。最初は地元の小金井農協の葬儀部との取引から始まり、徐々に販路を拡大した。「激戦の仏事業界にあって、井上園様が伸びた勝因は?」との問いかけに、「営業力かな?」と社長は笑う。「もう一つは、お取引先がまた新しいお取引先をご紹介してくださること。きちんとした商品を、きちんとお届けすることで、信用が信用を呼ぶのです。」
一方、営業力の中心と思われる専務は「やはり社長を始め先達が築いた歴史のおかげですよ。どこの馬の骨だかわからない若造が売り込みに行ったって相手にされないでしょう。きちんとこちらの話を聞いていただけるのは、『ああ、あの駅の近くのお茶屋さんね。』と認知されているからなんです。そういう意味では、感謝してもしきれないですね。」と分析する。親子でありながら、ビジネスの上ではお互いに相手を敬い尊重する姿勢に、大切なことを教えられた気がした。
 
自動包装機3台がフル稼働。

奥行きの深い冷蔵庫。

格子戸の向こうに作業する人影が映る。
舞台装置のようだ。
 
●アイテム数を絞る。
新店舗をオープンするに当り、話題になっている茶専門店を親子で精力的に視察した。まず基本としたのは、商品アイテムを絞り込むこと。整然とした新店舗では、粉茶や荒茶を入れても二十アイテムのリーフしか取り扱っていない。
「前の店では、色々置けば売上も伸びるだろう、と何でも仕入れてしまい、ゴチャゴチャした印象でした。しかし、アイテム数が増えれば売上も増える、というのは幻想で、賞味期限の問題を始め在庫管理は格段に複雑となり利益を削りマイナス面が大きいのです。実際、アイテム数が激減した新店舗では、前年を上回る売上を達成していますし、お客様の立場に立っても、色々ある店というのは焦点が曖昧で買いにくい店ではないでしょうか。」と社長は語る。アイテム数を絞るに伴い、仕入先も絞った。ボリュームディスカウントにより、良いお茶を手頃な価格で提供しながらも利益を確保する仕組みを構築したのだ。

広々とした多目的ルーム。研修室を兼ねている。 


素早い手作業で、
どんどん箱詰めされていく。

事務所。壁面のボードには
受注した仏事の仕事の進行状況があり、
一目で情報を共有できる。
 
●店主のこだわりを実現した店舗。
お茶は深蒸し茶だけ。「味が濃いからね。」と社長は言う。専務曰く「専門店は店主のこだわり・思い入れを前面に打ち出していいのだと考えています。なんでもあります、と浅く広く品揃えするのでは、量販店の棚段と差別化は出来ません。」
そして、店主として新店舗を任された専務のこだわりは、売り方・店構えにも及ぶ。二十種類のお茶はショーケースに入れられ、販売員との対話なしでは購入できない究極の対面販売。日本茶のプロとして、品種・産地・特長についてきちんとお客様に説明できるように、販売員は徹底的に教育した。また、その時の気分やシチュエーションとお茶との関係という、お客様の気持ちに寄り添ったアドバイザー的な役割も、今後の大きな課題だという。
器も窯元に直接買い付けに行き、今のライフスタイルに合った上質なお茶の時間を想像させてくれる品揃え。椋材のカウンターでは、素敵な器とお菓子で「今月のお茶」が試飲できる。ふんだんに使われている大谷石は、呼吸をしながら湿度を調整していると聞くが、音を吸収し会話や音楽がやさしく聞こえる。ゆったりとした空間の店の奥に作業場を配置し、仏事の包装に忙しい社員のシルエットが不思議な安心感を運んでくる。ずらっと並ぶ茶箱は、「茶問屋」として出発した井上園の歴史を物語る。和風でありながら新しい、心落ち着く空間は、一人ひとりのお客様を大切にしている雰囲気だ。

お洒落な器で供されるお茶。
お菓子は黒糖のこんぺいとう。
気軽だけど物語性のあるお菓子は月替り。

お茶の試飲コーナー。
椋材のカウンターで、豊かなひとときを過ごす。
 

番外編。決してお写真を撮らせてくださらなかった専務が、
試飲コーナーでお茶のチェックをしているところです。
 
●多機能の新社屋。
もちろん、新社屋には、店舗以外にもたくさんの機能がある。冷蔵庫。倉庫は四室。真空パックのための全自動袋詰め械が3台。箱を組み立てるための作業場。事務室。一日平均二十五件の仏事を捌く舞台裏は、山のような仕事を効率的に処理できるように設計されている。研修室も広い。
●時代を超えて受け継がれるもの。
「二代目である父と一緒に働いたのが二十年、その後私だけで孤軍奮闘した時代が十年弱、そして専務である息子と今二十年やって来ました。前の店は、私と父が作った店。今度の店は私が息子と作った店。歴史というものを感じざるを得ません。親子が腹を割って相談しながら、同じ目指すものを持って仕事ができるというのは幸せです。」とは社長の感慨。
社長の光嘉から一文字、息子の貴陽から一文字とって、ギフト部門の別会社「タカミツ」を命名した専務の一人息子は十三歳。「まだ未知数ですけど…。」と謙遜しながらも、「この椋材のカウンターは、息子がこの店を壊して次の新しい店舗を作ろうとした時に、『これだけは捨てられないな。』と受け継がれるような、自分の思いを凝縮したモノなんですよ。今のところ将来はお茶屋になるつもりのようだから、五代目までは大丈夫かな。」と笑った。
私共が皆様にお伝えできることは昔も、今も、これからも「お茶」です。――新店舗開店の日にお客様に配られた手紙にある「お茶の井上園」の心意気だ。「末永く」という言葉が、新鮮に重みを持って響く、今回の取材だった。
 

株式会社 お茶の井上園

本社所在地:

〒184-0011
東京都小金井市東町4-6-3
  電話: 042-381―1555
  FAX: 042-381―1565
立川店: 立川駅ビル ルミネ名店街B1
  電話: 042-524-8841