茶事記63号 クローズアップ・ピープル 経営者登場36

積極的な経営で明日を拓く経営者をご紹介するこのコーナー。今回ご登場いただくのは、創業安政元年、一五〇年余の歴史を持つ築地・丸山海苔店様。全国約三千店の一流寿司店から指名されるプロご用達の老舗です。レストランガイド誌「ミシュランガイド東京」で星付の寿司店二十二店のうち、十三店が丸山海苔店様の海苔を使用しているというのですから、その品質・品揃え・信頼感がとびきりであることは容易に想像できます。二〇〇三年には築地に「寿月堂」という日本茶喫茶・茶葉の店を出店、二〇〇八年にはパリ店をオープンされました。花王で企画部長や米現地法人副社長などを歴任し、二〇年前に丸山海苔店社長に就任された丸山邦治社長にお話を伺いました。
●社長就任当時の丸山海苔店様は、どのような感じだったのですか?
私が五十一歳で花王を辞めて着任した当時の丸山海苔店には、マーケティングの発想は全くなかったですね。しかし親父は、三千店の高級寿司店とのしっかりとした絆を築いてくれていました。目利きのプロの世界は少量多品種の極みで、一人一人の職人さんの好み、こだわり、用途に合わせた個別対応の世界です。三千店のお客様があれば三千種類の海苔がある。お客様の顔を思い浮かべながら仕入れをし、火入れをし、焼き上げるのです。
もちろん一五〇年という伝統だけでは早晩食べていけなくなる、ということは自覚していましたし、量販店へ卸すという選択肢もありました。しかし花王時代に問屋がスーパーに翻弄されて疲弊していくのを体感していましたからね。一時的な量的魅力はありますが、長い目で見れば自転車操業。それより自分のブランドを作ることに取り組もうと考えました。ブランド構築をした上で、「プロの味をご家庭に」というコンセプトで、小売を更に展開することが可能と考えたのです。
ブランドを作る過程で、花王時代のマーケティングのプロとしての経験が活きたということですね。
花王時代、丸田社長から「安売りをしない」ということを叩き込まれました。安売りをすれば、それはブーメランのように自分の業界に戻って来る。競合他社が安売りをすると対抗上こちらも値下げをしようとしますね。すると「国体をやっているんじゃない、これからはオリンピックだ。世界に目を向けろ、先を見ろ」と。
四〇年前にスタンフォードでバドワイザーのマーケティング部長に言われた言葉が忘れられません。マーケティングの第一は「他に負けない品質の商品であること」。第二に「その商品を他よりも高く売ること」。これがマーケティングの基本だと言うのです。「良いモノを安く」ではないんですね。私はこれを「よそが出来ない、違いのある商品を高く売る」と捉えています。
違いのある商品を作るために、一流の浜から人より高く評価することで安定して高品質の海苔を仕入れ、つくば工場では厳しい鮮度管理に基づき、少量多品種の海苔を受注してから焼き上げます。この圧倒的な品質に加えて、カテゴリー毎のブランド戦略とネーミングを非常に大切にしています。
たとえば「はしり草子」という商品がありますが、これは三大漁場である「佐賀」「上総」「瀬戸」の初摘みの海苔の詰め合わせです。海苔は「草目がいい」などと言うこともあり、「草の子ども」つまり、はしりの若い草目の連想できるネーミングで商標登録をとりました。「草々」と手紙を締めくくりますが、あれは「くさぐさ」とも読み「色々」という意味でして、三つの産地の食べ比べを楽しんでくださいね、というメッセージが込められています。そして「草子」という言葉に冊子を束ねるというニュアンスも込め、パッケージを作りました。このギフトパッケージは、ジャパンパッケージコンペティションで入賞しています。
他にも、旬の青のりが点々と飛んだ、ほろ苦い甘さと磯の香りが特長の通好みの「こんとび」。四切サイズは「うでまえ」シリーズ。一番人気の「佐賀のはしり」と「こんとび」「すしのり」を「うでまえ」サイズにして詰め合わせた「味三詩」。天日干しの極上青のりは「青糸」。ミシュランガイドで、丸山海苔店が五〇年以上にわたって海苔を納めている寿司店「すきやばし次郎」が三ツ星を獲得したのを記念して商品化した「次郎ごのみ」。すべて確固としたコンセプトワークを元に商標登録を取得して商品化してきました。
価格でグレードを分けるという通常の商品開発でないからこそ、セグメントしたカテゴリーのブランド戦略が可能で、お客様には選ぶ楽しみを感じていただけます。大切なのは、日本一のクオリティを追求し、品質を最優先させることで、価格はその次。つまり最初から価格の土俵で戦うのではなく、「どんな海苔がお好みですか?」という会話がまずあり、そこで商品の特長を理解したり共感したりしてお客様がご自分のお好みをセレクトした後に価格の話に進むというように商売を組み立てているのです。
海苔でなく日本茶でパリ進出を果たされたのはなぜですか?
日本という国は、海外の文化をインプットするのは上手い。漢字を平仮名、カタカナにしてしまうのですからね。遣唐使の時代から明治維新、戦後まで、ずっと海外の文化をインプットし続けてきました。
二十一世紀は心の時代です。私が寿月堂パリ店でしたかったのは、世界中で日本の料理やアニメなどの文化が受容されている今だからこそ、日本文化を発信する、アウトプットする「場」の創出です。もともと三〇年前からお茶事業はスタートさせていましたし、二〇〇三年には日本茶カフェを併設して茶葉専門店を築地で始めていましたが、「日本文化を発信する場」「日本を体験するために一度は訪れたいと思う場」と考えた時、海苔ではなく日本茶の方が、その精神性を伝えやすいと考えたのです。
二〇〇六年にパリで開かれた世界最大の食の見本市欧州で小さなブースを出したときに、確かな手応えを感じました。それは「茶葉」だけではなく、茶が発信する「心とからだの癒し」や「日本の美と精神性」への手応えでした。軍事力と経済の国アメリカではなく、文化の国フランスの、最も芸術的感性が高く本物を追求するパリに一号店を出したことは、ある意味、老舗の挑戦です。
店の名前の「寿月堂」は、修学院離宮の下茶屋を四〇年ほど前に訪ねたときに「寿月観」という「月を眺め尊ぶ処」という意味の言葉に共感して、お茶のカテゴリーで商標登録した名前です。随分昔ですが、マーケッターの心の琴線に触れたというか、アンテナに引っ掛かったというか‥。
当時からオリンピックを目指すなら日本茶だと思われていたのかもしれませんね。
世界に向けて発信するならまず日本茶から、という意識はありましたね。
寿月堂パリ店のショップコンセプトは「茶禅」。千利休が、茶道の心と禅の極意は一致するという「茶禅一味」という考え方に共鳴したということに由来します。フランスでは、親が子どもたちに「静かにしなさい」「落ちついて!」というときに「Soyez Zen」という言葉があるように「Zen」という言葉は「落ちつきがある」「おだやか」という意味で使われています。「CHA」も世界共通語ですから、この二つをつけた「茶禅」は千利休を知らなくてもイメージできる言葉なのです。
商標登録ですか?「茶禅」で、日本・EU・アメリカで取得しました。世界共通ブランドです。こういうのは、スタートする前に、全て準備しておくことが鉄則です。
物件も三年越しで精力的に探しました。なかなか気に入ったものがなくて、手を打とうとしていたところに、今回の高級ブティックや画廊が建ち並ぶパリのサンジェルマン地区の角地の物件が見つかりました。この世界観を表現するために、サントリー美術館や根津美術館、来年4月から建築が始まる新歌舞伎座を手掛けられた世界的に有名な建築家の隈研吾先生に設計をお願いしました。天井から降り注ぐような細竹と檜のカウンターを配し、地下には洞窟のような石の茶室。照明デザイナーはパリと東京で活躍する石井リーサ明理さん、テーブルコーディネートは沖縄サミットの晩餐会を手がけた木村ふみさん、そしてマネージャーはパリに暮らしていた長女の真紀が務めています。
開店して一年が経ちますが、お客様の九割がフランス人です。毎週土曜日の抹茶事始教室などのティーセレモニーは特に人気で、チケットを友人にプレゼントする目的で購入される方もいらっしゃる。フランス人の日本文化に対する興味のほどがうかがえます。
マスコミへの宣伝効果は絶大で、現地の日刊紙「FIGARO」や雑誌「ELLE」、エールフランスの機内誌などにも続々と取り上げられました。「ルイヴィトンのシティガイド」や「ゴエミオ」、「地球の歩き方」など、街歩きガイドブックにも掲載され、評判を呼んでいます。
寿月堂さんのパッケージも素敵です。
実は寿月堂のパッケージにはフランスの伝統色七色を基調とする八色しか使用しないというルールがあるんです。ある枠を決めて、その中で工夫してデザインしていくことで、統一感・世界観が生まれる。これはパッケージに限りません。安売りはしない、というルールを決めれば、「百貨店・量販店には出店しない」「ダイレクトマーケティングをする」「一流のデザイナー・設計者などのプロの力を使って、ブランド力を向上する」「よその出来ないことをする」と、すべきことが見えてきます。
たとえば当社の抹茶フィナンシェ。通常の三倍の量の抹茶を使用していますが、添加物は入っていません。それなのに鮮やかな緑色です。元銀座レカンのパティシエに作っていただいていますが、熱を加えると抹茶が変色するので、低温で長時間かけて焼く。それも、同じマニュアルに沿って作っても、ガスの火力が昼間と夜では微妙に異なり、夜だと色が変色するので昼しか作らないというこだわりようです。ここまでして初めて「よそにはできない」の域。
規模の競争や、市場でのパイの取り合いには興味がありません。今までにない商品を作り市場に提案をすることで、新しい需要を創造していきたいですね。