第48号 株式会社下堂園 下堂園豊氏

積極的な経営で明日を拓く経営者をご紹介するこのコーナー。
今回ご登場いただいたのは、鹿児島・株式会社下堂園様。
若いお茶屋さんから
「お茶屋らしくない茶問屋、下堂園の社長の記事が読みたい。」
というリクエストの多い経営者です。
一九九九年一二月落成の新社屋は、
二一八五平方メートルの敷地に鉄骨四階建て(工場部分は三階建て)。
延べ床面積は四一七四平方メートル。
本社機能と仕上工場の他に、一階の吹き抜けのあるスペースで
「ティー・スペース・ラサラ」を運営しています。
またドイツに販路を持ち日本茶を輸出、
品質に関する国際規格ISO9001(二〇〇〇年版)も
コンサルタントの助けなしで取得されました。
株式会社 下堂園
代表取締役社長 下堂園 豊氏
社長業22年目を迎える社長。
自分の迷いも弱さも淡々と語られる口調に、
器の大きさと本物の強さを感じた。

新社屋全景。2階には本格的な茶室と研修室がある。

●三十二歳で社長に。
豊社長は前社長である父親の突然の病死によって、一九八〇年に三十二歳の若さで社長となった。片腕である岡常務曰く「あの頃の社長はいつも圧倒的な勢いで働いていて、全力疾走で、吼えてたって感じ(笑)。その情熱につられて社員も一緒に走りました。」
一方社長自身は「自分も弟も若くて、あの若造では今後は危ないな、とか色々聞こえて来たしね。親父の死は急なことで心の準備もなかった。自分たちでやるしかない、という気持ちだけを頼りに、背伸びしながら踏ん張ってたんです。踵が地についていない感じでしたね。」と語る。
●挑戦・挑戦・挑戦。
まず、「鹿児島茶はおいしくない」という消費地のお茶屋さんの先入観をどうしたら切り崩せるだろうか、と考えた。二〇年以上前、鹿児島茶の評価はかなり低かったのだ。
鹿児島の新茶を一煎パックに詰めて、消費地のお茶屋さんに差し上げてはどうだろう? それをお茶屋さんは来店したお客様にサービスする。本当においしければ「あのお茶が欲しい」と消費者がお茶屋さんに発信してくれるはずだ。
今は自動包装機があるが、当時は何万枚もの一煎袋に匙で手詰めしてシール機を踏んだ。羽田空港集合で鹿児島の茶畑を東京のお茶屋さんに見学してもらうツアーも、何度か企画。七十七夜の走り新茶予約をいち早く手掛けたのも下堂園なら、「ゆたかみどり」という品種を鹿児島茶の原動力と位置付け他の品種をブレンドせずに深蒸し茶に仕立てたのも下堂園。深蒸し茶を浸透させるために、メッシュ急須のサービスもした。
全力疾走の三十代を経て、
大局的な舵取りに徹する。

流通センターで。
仕入れを統括される堀本部長。

笑顔が魅力的な岡常務。

ドイツで販売している
「KEIKO」という名の
日本茶カートン。

ピーターラビット生誕100周年記念の
緑茶ティーバッグギフト。
●最後は一杯のお茶になる。
「ゆたかみどり百パーセントの深蒸し茶は、甘みが強く独特の火香がするのですが、そのお茶を一杯飲んだおばあちゃんが『私生きててよかった』って言ってくださった。たかが一杯のお茶ですが、すごい力があるのだと心に刻みました。いつも社員に言うんですが、どんなに扱い量が増えても、最後は一杯のお茶になる。それをしっかりイメージしようと。」
産地からの原料供給だけで終わるのではなく、きちんとお茶屋さん、そしてその先にいる末端の消費者の役に立つメーカーになりたい。その一心で、次から次へと挑戦を重ねた社長。その挑戦は、一瞬のひらめきではなく、骨太の土台に支えられ、順序立てて練られているのだ。
異物混入をチェック。
超大型の仕上機から
小規模ラインまで、
広い守備範囲の生産施設。

エアシャワー・手洗いは徹底されている。

自動パレット倉庫。
●自分の分身を作る。
先代から受け継いだお得意さんを一軒も減らすまい、と一から十まで首を突っ込んで陣頭指揮をとった三十代。十年後、お得意さんは一軒たりとも離れなかったが、その達成感と共に、自分の能力の限界を悟る。
「忙しくてね、お客さんを怒鳴っちゃったんです。これはマズイと思いました。いくら遮二無二働いてもせいぜい一・五人分、二人分働くのは無理ですよ。ならば自分と同じくらい働く人間を社内に二~三人作ろうと発想を転換した。意識して社員に権限と責任を委譲しました。」
帯広に本社のある販売子会社・藤製茶株式会社は弟の専務が社長を務め、扱い量二千七百トンの仕入は堀本部長が仕切る。ISOも有機認証も外部のコンサルタントに委託せず、社内で育てた。社員は口々に「社長は経営者として大局的な舵取りをしていて、現場は自分たちに任せられている」と言う。そしてフレンドリーで明るい。「うちは入社したら、物流でフォークリフトに乗ったり、ビオファームで農作業したり、必ず現場を経験する。だから忙しい時期でも、お互いの仕事を助け合って乗り切れるんですよ。」
昔は「もっとタマがあれば、いくらでも売れる」という時代だった。でも今は、いくらタマがあっても、どうすれば売れるのか見えない時代。こんな時代だからこそ、トップダウンで社長の指示通りに動くのではなく、複数の人間が知恵を持ち寄って「みんなでもんでいく」ことが力になるのではないか?
ティ・スペース・ラサラ。
心もからだも癒される時間と空間。

●ドイツへの輸出とオーガニック。
「年間四〇〇〇万円前後の小さな商いだけど、社員にとっても〈世界の飲料としての緑茶〉という夢を描けるのがいい。ただ利益を上げることだけが善、という会社にはしたくないからね。」と社長が言うドイツへの緑茶の輸出。きっかけは誘われて出展した十年前の国際食品見本市だった。フランス・ドイツと二年続けて出展し、アローズという自然食品製造販売会社の目に留まり取引が始まる。当時ドイツでは中国から入ってきた緑茶がYABOKITA・ASATSUYO(笑)というようないい加減な表示で売られていたと言う。
ドイツは残留農薬の基準が厳しい。無農薬・有機栽培と謳っていなくてもチェックが入る。一時的ブームではなく緑茶は健康飲料としての定番品として育ちつつある。一連の流れの中で、シモドウゾノ・インターナショナルという関連会社と、有機栽培を推進する農業生産法人・有限会社ビオファームが設立された。
企業の大志、経営者のスピリット。

営業本部。
●農家と同じ方向を向いていたい。
「すべては人との出会いでしたね。一生懸命やっていると声がかかる、話がやってくる。ビオファームでオーガニックの畑を持つことになって八年、すごく勉強させてもらいました。農家の痛みが実感できた。有機栽培って簡単に言うけど、そのリスクと労力を思ったら単なる経済法則では合わないですよ。数年前から有機栽培に取り組む系列農家のために補償制度を設けていますが、売る側もリスクを分け合ってこそ継続できる。自分だけが儲かればよいとか、苦労したプロセスを共有せずに結果だけを享受しようという姿勢ではなく、せめて当社は農家と敵対するのではなく同じ方向を向いていきたい。」
先代がお茶の技術者であったため生産農家との繋がりは深い。契約農家四〇工場があり、茶業団地にある流通センター(旧本社所在地)の荷捌き場は、ピーク時には入札の荒茶と合わせて一日約六〇トンのお茶であふれる。
●完全密閉型の新工場。
おととし移転した新社屋。生産ラインは二ラインで、一日に八時間操業した場合の標準処理能力は約五トン。自動制御のため少人数での生産が可能だ。工場は外気と完全に遮断され、火入れ加工など各作業ラインに入るにはエアシャワー・手洗いが徹底されている。各ラインに集じん機を備え、茶の粉一つ床に落ちていない。「お茶も食品の一つ。異物の混入を避けるための密閉型。」と新聞記事でも紹介されたが、衛生管理は徹底されている。
特筆すべきは、正統派日本茶カフェ「ティー・スペース・ラサラ」。ゆったりとしたスペースで、おいしい日本茶を楽しめる。器もお茶もお菓子も自分で選べ、何度も足を運びたくなる感じ。鹿児島で開催したグループインタビューでも、「ラサラに出会って日本茶のイメージが変わった」と若い女性が発言していた。
「売ろうとすればお客様は引く。まず楽しんでいただくこと。買いたいな、という気分にさせることが大切。」とは岡常務の言葉。「最後は一杯のお茶」を信条とする社長は「砂漠に一滴の水を垂らすようでも、お茶屋としてやりたいこと。」と二号店の構想を持つ。
●変えることを恐れない。
挑戦する前からマイナス要素ばかりを考えない。まずやってみる。不都合な部分が出たらためらわず変えていく。
「今も私の根底に〈経営は怖い〉という気持ちがあります。だから守りに入れない。立ち止まることが出来なくて、前へ前へ進もうとしてしまうんですね。もし私が、お茶屋らしくない、と評されるのだとすれば、そういう部分を指しているのかもしれない。」と社長は率直だ。それが明るく前向きな組織風土に真っ直ぐに繋がっているのだと感じた。

株式会社 下堂園

本社所在地:

〒891‐0123
鹿児島県鹿児島市卸本町5-18
電話
099‐268‐7281(大代表)
FAX
099‐267‐1503(大代表)
流通センター:
〒891-0122
鹿児島県鹿児島市南栄3-11
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