ギフトではなくプレゼント!?

プレゼントは手間がかかる!

 座談会が始まるまでの数分で、定点観測している調査項目を「ちょこっとクエスチョン」というアンケートの形式で記入してもらいます。今年のグルインで、「昨年あなたが贈ったギフトを教えてください」という質問のところに「ギフトはしない主義」と書いた四〇代後半の女性がいました。「ギフトはしないのはなんで?」と突っ込むと、「プレゼントはするけれど、ギフトはしない」と答えるのです。うーむ、どういうこと????何となく座談会の他の出席者も共感してうなずいているじゃありませんか?

 すると答えて曰く「ギフトはお返しを前提にしている感じでいやなんです。これは私が上げたくて上げているんだからお返しはいらないのよ!というのがプレゼント」という説明です。なんだか、わかったような、わからないような‥。
ギフトはかっちりした箱に入っていて熨斗紙がかかっているイメージ。プレゼントは、もっとでこぼこで、どちらかと言うとラッピングのイメージ‥。

 ギフトは同じものを、「この三千円のセットを十軒に送ってね」と頼むイメージ。プレゼントは相手を思い浮かべながら、個別対応するイメージ。などなど、補足説明を沢山していただきました。

ワタシのセンスが試される?

 そうそう、来年の新茶投票をする時に気になった発言も、複数ありました。たとえば「センスのある友だちにお土産として渡しても喜んでくれそう」とか「おしゃれにシンプルに生活している友達でも、この袋であれば軽蔑せずに、そのままリビングテーブルに置いてくれそう」という、「(センスのある)友だちに馬鹿にされないようなプレゼント」という視点で商品を選別しているのだな、と感じさせる発言です。発言している人も、やはり中々良いセンスをしている感じなのですが、センスがあるものをちょこっと上げる、という頻度は案外高まっているのではないでしょうか?

 そして、「センス」というコトバが発せられる時には、やはり「パッケージの見た目」重視。リビングテーブルにあっても、あまり自己主張し過ぎないか、逆に思い切り自己主張して存在感があるか、というどちらか極端であることが大切。中途半端は、ことごとく「センスがない」と却下されてしまいます。

「おみや」は究極のプレゼント。

 そして「おみや」という需要。どうやら「お土産」の短縮語のようですが、この「おみや」が究極のプレゼント。この場合は、食品であっても、食費ではなく交際費としてカウントされるので、グラム単価ではなく、総額と見た目のバランスで、買うか買わないかを選択されます。