茶事記73号WEB用
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んら若き経営者は「楽しい団だん欒を創造する会社」と事業を定義。人の役に立つことなら、必ず道は拓ける。秋あきう保ヴィレッジについてお話を伺いました。変化するもののみが生き残る、ということを突き付けられた取材でした。積極的な経営で明日を拓く企業をご紹介するこのコーナー。今回ご紹介するお茶の井ヶ田様は、茶事記の最多登場、四度目の取材です。平成五年二十九号では、今は亡き井ヶ田徳治氏が、消費者も見学できる「お茶の流通センター」オープンと消費者への啓蒙を語り、平成八年三十六号では、「お茶を食べる」というコンセプトで大型郊外店舗「喜久水庵」で新しい茶専門店の未来を描いた現会長の今野克二氏に登場いただき、平成十四年四十八号では、大型量販店や駅ビルのテナントとして多店舗展開に舵を切った今野氏に二度目の取材をお願いしました。そして今回。今野氏の長男、三十三歳の井ヶ田健一氏にご登場いただき、社長就任と昨年七月にオープンしたお茶の井ヶ田株式会社●ファミリービジネスの承継●許認可のハードルクローズアップ・ピープル経営者登場45「社長になれ、と言われたことは一度もありませんが、物心ついた時から、自分が継ぐんだ、と思っていました。ゴールデンウィークには仕入れで静岡にいる父のもとに家族で出掛けておいしいものを食べた旅行気分の楽しい思い出だったり、喜久水庵をオープンした当時は中学生で抹茶ソフトに感動したり、無邪気なものでした」そう淡々と語る健一氏は、東京の大学に進み、普通に就職活動をして普通に大企業に就職した。その間も、東京で話題の店があれば自分で食べに行き喜久水庵のメニューとして提案したり、現在の奥様とのデートの時にも気になるメニューのキャッチコピーをメモするなど、「お茶の井ヶ田にプラスになりそうなことにはピピッと反応する」のは当たり前のこととして身についていたという。就職して二年を過ぎた頃、徳治氏が亡くなり、「二人(克二氏と常務で妻の順子氏)で出張出来ない、ハンコを預かる留守番として戻って来い」と言われ、三月末に退職し、取締役企画室長として仙台に戻った。「私たちのようなファミリービジネスには、事業承継の流れやタイミングがあります。事業はもちろん利益がなければ継続しませんが、利益だけでも継続しません。その流れを意識し大切にしました」実は、お茶の井ヶ田では、幹部や社員を巻き込んで作る「みんなの夢手帳」を五年毎に更新している。昨年七月にオープンした秋保ヴィレッジは、憧れの本館という位置づけで、平成十二年発行の夢手帳に「秋保物産館」として明記されていた。健一氏が仙台に戻る七年前のことである。しかし、この計画は行政の許認可を前に困難を極めた。十年前に手当て代表取締役井ヶ田健一氏穏やかで賢い。気負いなく、広く高い視野から事業を俯瞰する健一社長。みんなの夢手帳。5年後を目標達成期限として5年毎に更新する。3

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